野中悠太郎騎手が小倉競馬場で騎乗するということ。

私にしか書けない話を、自信を持って。

あいつのプライバシーにも俺のプライバシーにも少し関わってくるけど、このタイミングで残しておかないといけない。そう思った。

遡ること10年位前?かな初めて会ったのは。もちろん存在自体はそれより前にを知っていたけど、初めてしゃべったのはそれぐらいだったかなと言う記憶。

昔から競馬が好きだった僕は、ある日悠太郎が騎手を目指すと言う話を聞いたときは、すごく嬉しかったし楽しみになった。騎手を目指す、と言ってもそう簡単な話ではないが。
乗馬センターに乗馬している姿を見に行ったり、競馬学校での学科試験に向けて家庭教師みたいなこともした記憶がある。大乱闘スマッシュブラザーズで戦った記憶もある。(ドンキー使ってたっけなー)。悠太郎が中学校3年生の時競馬学校に受かったと言う話を聞いた時はものすごく嬉しかった。
近い将来、地元の小倉競馬場で騎乗することを夢見て。

それからそういう縁もあり競馬学校騎手課程31期生の入学式にも参加させていただいたり、その他諸々の話も聞かせてもらったり。完全に寮生活で合わない日が。競馬学校2年生の時ぐらいに美浦所属になると言う話を聞いた時は、あー九州生まれでも関西所属ではなく関東所属になってしまうのか…と少し悔しくなったっていうか悲しかった時もあった。
本人の努力もあり無事ストレートで卒業することができた。卒業レースだったり東京競馬場での模擬レースの姿を見て早く地元小倉競馬場で乗ってもらいたいと素直に思った。

デビューする数日前、2015年2月関東所属の後藤浩輝騎手が亡くなったと言う情報が入った。純粋に非常に悲しかった。そして、その数日後美浦所属競馬学校31期生唯一デビューするのが野中悠太郎だった。業者に頼んでいた応援幕とは別に、前日に手書きの応援幕を作成して持参した。

『愛され関東を代表する騎手になれ』という言葉とともに。

 

それからだんだんと騎乗機会にも恵まれ、後輩に藤田菜七子が入ってきて注目を浴びたり、比較されることも多々あったと思うが、一つ一つ階段を上って着実に成長してきている。

でも、ひとつだけ簡単そうで簡単じゃなかったことがある。地元 小倉競馬場での騎乗だ。
妹弟子が先に乗ったときは、何で?と正直思った。丸3年乗り続けても小倉での騎乗機会が得られなかった。それなりに騎乗数も増えてた中でだったので、悔しいというか無性にムズムズした気持ちになっていた。

デビューして、丸3年が経とうとしている。
嬉しい話が入ってきた。
2018年2月10日、小倉競馬場で騎乗する。本当に嬉しかった。俺だけではない。遠く関東で乗っている彼の姿を、目の前で見たくても見れずに月日だけが経っていく、そんな悔しい気持ちをもっている人の前でやっと乗れる。初めて、小倉に騎手として”帰ってくる”のだ。凱旋騎乗と言っても過言ではない。
次に小倉に乗るのはいつになるのか分からない。その中で、彼が小倉のコースを馬とともに駆け抜けていく姿を見た時、ひとつの目標が達成されたと思うだろう。

 

待ってました。

 

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