こんにちは。おわっっ(@rk_owaaa)です。
2016年末、青春18きっぷを使って、東京駅から3日間 最終目的地、金沢競馬場まで行ってきました。
写真と共に振り返ろうと思います。
2日目です。この日は金沢競馬場へ向かいました。
1日目の記事です。
2日目:岐阜駅~金沢競馬場~名古屋駅
2日目スタート
— おわっっ (@rk_owaaa) 2016年12月19日
岐阜駅から金沢駅へ向かう。 226.2km
岐阜発 東海道本線 大垣行
大垣発 東海道本線 米原行
米原発 琵琶湖線 近江塩津行
近江塩津発 北陸本線 福井行
近江塩津で30分程乗換え待ちをしたが、周りに何も無く、ただただ寒いだけだった。
福井発 北陸本線 金沢行
福井でも接続待ち。福井駅の改札が自動改札機ではなく、有人改札だったことには驚いた。
金沢駅到着
金沢競馬場へ向かわず、まずは観光。
駅舎の造りがかっこいい。
市内中心部の近江町市場を通り
金沢城公園へ
金沢城公園とは
天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃です。
しかし、当時は城内に重臣たちの屋敷があり、決して広い城ではありませんでした。
慶長7(1602)年、落雷により天守閣が焼失した後、天守閣は再建されず、
本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられました。
寛永8(1631)年の火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより
城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出されました。
内堀を掘り、土を掻き上げて各曲輪が区画されていきました。
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失しました。
その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、
本丸の櫓は再建されませんでした。
細工所が新丸から堂形へ移されたのもこの時期です。現存する石川門は、
この後天明8(1788)年に再建されたものです。
平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、
文化5(1808)年の二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、
安政頃の景観を再現しました。
金沢大学誕生の地とのこと。
そして、金沢といえば
そう、兼六園。
兼六園とは
日本三名園の一つに数えられる、廻遊式の庭園。
水戸偕楽園(かいらくえん)、岡山後楽園(こうらくえん)とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。
園内散策。
明治紀念之標。
正直のところ、あまり詳しいことは分からないので
普通に景色を楽しんだだけだった。
四季で雰囲気がガラッと変わるところに風情を感じるのだろう。また別の季節に行ってみたいものだ。
金沢駅に戻る。
駅ビル内、「カフェ 百番や」へ。
金沢は金沢カレーが有名らしいとのことを調べ、百番やさんに。
金沢カレーとは
何種類ものスパイスで野菜が溶けるほど何日も煮込まれていてコクのある濃厚なルーが特徴です。当店のブラックカレーは金沢カレーと呼ばれる中でも色が黒くて深みの有る味が自慢です。
注文。
金沢ブラックカレー ウインナー+から揚げ
コクがあって、なおかつ濃厚なルー。そのなかにスパイス等の様々な味わいがあってとても美味しかった。
いざ、金沢競馬場へ。
金沢競馬場から無料のファンバスに乗り、揺られること20分
金沢競馬場到着。
ファンサービス館がお出迎え。
パドック
食堂。開いている店舗より、シャッターのほうが多かった。
馬券は5レースほど購入し1レース的中。
馬券が主ではなく、金沢競馬場に行くことが目的だったが、
全体的に寂れた雰囲気の漂う、所謂普通の地方競馬場。
やはり行った日が平日ということもあり、人はまばら。
それと、あまり印象に残るものが無かったかなと、個人的に思った。若い者なりに、勢いが無い。そう思った。
2013年にはJBCが開催されたこともあり、潜在的な客もいるのだとは思うが
期待していたより勢いも地方競馬特有の鉄火場の雰囲気が無く、少し悲しくなった。
そんな、金沢競馬場だった。
また、ファンバスで金沢駅まで戻り、
往路と同じルートを戻るように、友達の家がある名古屋の鶴舞駅まで鈍行列車で戻ったのだった。
2日目:岐阜~大垣~米原~近江塩津~福井~金沢~福井~敦賀~米原~名古屋~鶴舞
移動距離:488.3km(総移動距離:936.5km)
つづく。
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