松戸競馬場跡を探訪する

2018年4月7日土曜日

青春18きっぷで一人旅。上野駅から常磐線で松戸駅へ。以前から行っていた浅野靖典師匠的 競馬ワンダラー的な探訪記。青春18きっぷ旅に関してはまた別の記事で取り上げる。

松戸駅東口から徒歩7.8分のところにある、小高い丘にあるのが、現在の松戸中央公園。100年ほど前、この地には松戸競馬場が存在していました。

Googleマップから見ても、敷地の形状に競馬場の名残を見る事ができる。当時は右回りでの開催、階段を登って上記画像の「松戸中央公園」の「松」の文字辺りに降り立つ。

 

公園の南側に向かって歩くと、とある門の跡が見える。

松戸中央公園正門門柱(旧陸軍工兵学校正門門柱)。

そして、旧陸軍工兵学校歩哨哨舎。コンクリート造りが当時の雰囲気が伝わってくる。

–松戸競馬場は1907年(明治40年)から1919年(大正8年)まで千葉県東葛飾郡松戸町、松戸駅の東側の丘陵地帯(2017年現在の聖徳大学や松戸中央公園、松戸一中、相模台小学校)にあった競馬場である。1919年(大正8年)松戸競馬場は日本陸軍に接収されて陸軍工兵学校敷地になり、松戸競馬倶楽部は千葉県中山村に競馬場を移転し中山競馬倶楽部に改名する(旧中山競馬場)。したがって松戸競馬場は中山競馬場の前々身にあたる。-wikipedia 松戸競馬場

時代の流れとしては、大昔の国府台の戦い→松戸競馬場→陸軍工兵学校→千葉大学工学部→松戸中央公園。

 

■概要

上野不忍池で非公認競馬を行った興行師たちは内紛を起こして分裂し、1派は千住、1派は松戸に移動。1906年(明治39年)10月25日から4日間、総武牧場団体競馬会と言う名称で、松戸駅東側の丘陵地帯に1周800メートルの馬場を設けて競馬が行われた。総武牧場株式会社の設立は1906年(明治39年)12月7日、6町6反6畝余り(66000㎡)の土地を借入し、設立まもない12月20日競馬場の建設工事を始め、翌年(明治40年)3月9日竣工する。交通の便は良かったが、松戸競馬場の施設は劣悪だった。丘の上の狭隘な土地に無理にコースを作り、馬券発売が出来る法人として競馬会が政府から認可を受けるための条件の一つは、1周1マイル以上の馬場を持つことだったので丘の上の狭隘な土地で1マイルのコース長を確保するためコースは曲がりくねっていた。急な左カーブの次は右カーブになりまた急な左カーブが続く。曲がりくねった難コースで落馬は多かった。

 

■周囲探訪

まずは馬頭観音にお参り。

向正面から3コーナー手前。このまま対面の小学校方面にコースは続く。

3コーナー、4コーナー中間

4コーナー手前

4コーナー。道は左側に舗装されているが、実際には石畳方面から花壇辺りを通って、道に合流していたと考えられる。

直線。

この辺りがゴール板だったか。

1コーナー手前

1コーナー

これ以降、2コーナー周辺に関しては聖徳大学内なので確認出来ず。このまま階段を降りて駅に戻りました。

その途中にあったのが、陸軍工兵学校 倉庫跡。言われてもピンと来ないが、これもれっきとした遺構だ。

 

この次はまた常磐線に乗って、取手駅へ取手競馬場跡を探訪しに行きます。

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