こんにちは。おわっっ(@rk_owaaa)です。
今回は千葉県の房総半島を内房→外房にかけて、一泊二日原付で一周してきました。
原付で地球の丸く見える丘展望館に行ってきた。以来の原付ツーリング一人旅です。
写真とともに行ってきた観光地の紹介をしたいと思います。
全行程
1日目:自宅(関東某所)~富津岬~東京湾観音~鋸山(のこぎりやま)~道の駅「きょなん」~大房岬~館山城~洲崎灯台~野島崎灯台~民宿(南房総市白浜)
2日目:民宿~ローズマリー公園~鴨川シーワールド~おせんころがし~行川アイランド跡~勝浦城跡~官軍塚~月の砂漠公園~サンシャインステーブルス~伊能忠敬記念公園~自宅
1日目前半(富津岬~東京湾観音~鋸山)
太陽さんさんの6月某日、自宅を8:00に出発。原付のメータは6743km。
まずは富津市にある「富津岬」へ向かう。自宅から車で約2時間。原付だから3時間ぐらいで着くだろう。
国道357号線(東京湾岸道路、千葉市周辺は道路が4車線ぐらいあり、舗装されていて非常に通りやすい)→国道16号線(田舎一本道、工業地帯のためトラック多い)を通る。1回目の給油を木更津市潮見の「エネオス潮見店」で行う。ノンストップで来たが、この時点で10時半。ここから富津岬までまだ15kmほど。
11:20 富津公園入り口到着。
富津岬に広がる一帯が、富津公園として開放されている。
さらに進むと富津岬の最先端にある、五葉松をかたどった展望塔
「明治百年記念展望塔」に到着。
独特な形をした展望塔、昭和46年建設で最上階の高さは21.8mに達する。
展望塔を登る。頂上から東京湾海堡が見える。海堡とは、人工の島に造られた、砲台のこと。
手前が、第一海堡。
奥が、第二海堡。
この第二海堡にザ!鉄腕!!DASH!!で上陸していたことがあったので、気になっていた。『ザ!鉄腕!DASH!!』、第二海堡にTV初上陸 TOKIO山口「こんな無人島があるとは」
ここは、関東の富士見100景にも選ばれている。
持参した軽食を食べ、出発。同じく富津公園内の、中の島「富津元洲堡塁砲台跡」(ふっつもとすほうるいほうだいあと)に立ち寄る。
中の島 富津元洲堡塁砲台跡
当初は清国北洋水師、次にロシア太平洋艦隊の来攻を想定して東京湾の入口、富津岬の基部に築かれた東京湾要塞のひとつが富津元洲堡塁砲台。東京湾要塞の一部として大正時代まで機能しました。現在は県立富津公園の一部で、要塞の中央部には中の島展望台(中の島展望塔)が建っています。
人工的に造られた感バリバリの入口みたいなところを通り
洞窟?洞穴?を見つけたり
中心には展望台があり
上から周囲を見渡すことができる
佇まいはファイナルファンタジーかドラクエかで言ったら、ドラクエっぽいかな(何となく)
富津岬での寄りたいところに寄れたので、同じく富津市の「東京湾観音」に向けて、内房を南下する。距離はざっと10kmといったところか。
国道465号線を通る。道中、遠くからでも分かる、凄く大きな白い観音像が見えてくる。国道465号線から、入口の看板が出ている。
「東京湾観音」に到着。(12:30)
拝観料(胎内へ入る)は上の通り、500円。
東京湾観音は、東京湾を一望できる南房総国定公園(大坪山)に建つ高さ56mの救世観音です。
本像は昭和36年に宇佐美政衛氏が世界平和の理念の元に建立されました。
そのお姿は平和な世の中を祈願した珠を懐き、常に我々の幸せを願う安らかなお顔です。
また、美術作品としても有名な東京湾観音の原型の作者は、国際グランプリを受賞した彫刻家の長谷川昴(こう)氏です。観音様の胎内にも長谷川氏の作品が多数あります。天上界までの324段の道のりをゆっくりと拝観しながら歩いて頂ければ、きっと心が満たされてゆくことでしょう。
天上界(宝冠の高さ)から一望できる東京湾は絶景で、天候に恵まれた日には富士山や夕焼けも美しく見えます。
本当に大きい。牛久大仏と変わらないのでは、と思ったほど。(実際には、牛久大仏:120m、東京湾観音:56m)
周りには様々な碑が建立している。
拝観料を払い、胎内へ。らせん階段が連なる。階段数は頂上の20階まで324段。登っていくと、様々な胎内仏が祀られている。拝観について
パンフレットに七福神のスタンプがあったので、各階でスタンプを押す。
後日、揃ったものを写真に収めた。
13階に到着。高さは約40mといったところか。ここでは、腕展望から外の景色を見ることが出来る。
うっ…私は、高所恐怖症だ。高い。障害物もないから風も強い。一気に腰が引けた。思い出すだけで、身の毛がよだつ。必死になって写真を撮る。
もう、無理だ。と思った私は最上階まで行くことを断念。早足で1階まで戻るのであった…(いや、ホント地震来たらどうしようとか考えてしまうのです)
しかし、この東京湾観音。1951年の構想から5年及ぶ建設工事の間、海沿いの強風のある地域にもかかわらず、一人の事故者も無く竣工に至ったとのこと。これには、非常に驚きました。
戦没者慰霊と世界平和の想いを背に、東京湾観音を後にします。
まだまだ内房を南下。富津市金谷の「鋸山」(のこぎりやま)を目指します。道中、国道127号線の「内房なぎさライン」を通るのですが、その海岸線の景色が凄くキレイ。
「漁協料理 かなや」さんの駐車場をお借りしてパシャり。
13:30 鋸山ロープウェー山麓駅に到着。
鋸山の観光の中心は、地獄のぞきや大仏など重要文化財がある「日本寺エリア」に向かう必要がある。そのためには、鋸山ロープウェーか登山自動車道(有料道路)を利用して行くのが便利。原付では登山自動車は利用できないため、ロープウェーを利用します。
平日だったこの日の運転間隔は15分。時期によっては5~15分と狭まることも。山頂駅までの所要時間は約4分。ロープウェー内なかなかの絶景が見てとれる。ロープウェーは往復で930円。
チケットは硬券。
山頂駅に着くと、かなりの絶景が目に入ってくる。
大仏や地獄のぞきなどが含まれる日本寺エリアへ入るためには、別途入場料600円を払う。
鋸山 日本寺(にほんじ)
日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山されました。正しくは乾坤山(けんこんざん)日本寺。開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っております。
日本寺は開山当時、七堂十二院百坊を完備する国内有数の規模を誇り、良弁、空海、慈覚といった名僧が留錫(りゅうしゃく)したと記録されています。良弁僧正は木彫りの大黒尊天を彫られ、弘法大師(空海)は100日間護摩を焚かれ石像の大黒尊天を彫られました。
仁王門の金剛力士像は慈覚大師の作と伝えられています。
鋸山日本寺由緒より
まずは階段を登り、「地獄のぞき」へ。
高い。反り出した地獄のぞきの先端には、もちろん行かなかった。
次は切り出した石壁の間を通って、百尺観音へ。この空間はファイナルファンタジーっぽい。
直角に切り出された石壁。その中に「百尺観音」。
昭和41年5月、6年の歳月をかけ完成した大観音石像。発願の趣旨は、一つは世界戦争戦死病没殉難者供養のため、また一つは、近年激増する東京湾周辺の航海、航空、陸上交通犠牲者供養のため、とのこと。
ここから一気に階段を下ります。
日本一の大仏(薬師瑠璃光如来)。
原型は天明三年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門徒と、岩山を3年かけて彫刻した。建立当時の高さは9丈2尺(約37.7m)。江戸末期になり、自然の風触による著しい崩壊があった。その後昭和41年(1969年)に4年にわたって修復された。なお、以前の崩壊箇所等がある関係から、像高は原型より約7m低い31.0mとなっている。
何が日本一の大仏かと言うとその高さだ。「薬師瑠璃光如来」は総高31.05m・御丈(足から頭のてっぺん)21.3m。鎌倉の大仏(高徳院 阿弥陀如来)は総高13.35m・御丈11.312m、奈良の大仏(東大寺 盧舎那大仏)は総高18.18m・御丈14.85mで、日本寺の大仏は鎌倉の大仏の2倍以上ということになる。
その大仏がある広場に安置されているのが
「お願い地蔵尊」だ。
小さな地蔵さまが無数に奉納されている。お地蔵に願いをこめ、氏名を書くことでかなえられるとのこと。
日本寺内の観音像を列挙したい。
夏目漱石と正岡子規も訪れている。(鋸山探勝碑)
明治文学の巨星夏目漱石は明治二十二年、23歳で房総を旅した際に日本寺を訪れており、この房総旅行を級友正岡子規に宛ててつづった漢文紀行「木屑録(ぼくせつろく)」 を完成させました。(略)その約2年後、正岡子規は25歳で房総を旅し、日本寺を訪れています。
この時の旅について綴ったのが「かくれみの」です。
基本的に、山なのでアップダウンが激しい。
日本寺めぐりは一周約1時間半と書いてあるのだが、全部見て回るなら2時間は確実にかかる。夏ならなおさらキツイ。余裕を持って巡って行って貰いたい。(ちなみにパンフレットには、『総てを鑑賞するには二日を要するといわれるほど』とある)
ロープウェー山頂駅が山八分どころにあるので、大仏を見る場合下って上ってが避けれません。重い腰をあげて、山頂駅に戻ります。
これで1日目前半、富津岬~東京湾観音~鋸山は以上です。
次は1日目後半、房総半島最南端の地「野島崎灯台」を目指して、まだまだ内房を南下します。
つづく…
原付で房総半島を1周してきた(1日目後半:道の駅「きょなん」~大房岬~館山城~洲崎灯台~野島崎灯台)
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