おわらいふ

原付で三浦半島を日帰り一周してきた。後半

2018年4月17日火曜日

 

関東のとある地域から、日帰りで三浦半島の海岸線を1周してきた。その後半。

原付で三浦半島を日帰り一周してきた。前半

前半は、平塚からスタートし、湘南→長者ヶ崎→天神島→荒崎海岸→ソレイユの丘と進んできた。ソレイユの丘から後半はスタートする。

ソレイユの丘から南に原付でピューっと50分。マグロの町、三崎にやってきたのだが、町を少し走っただけで先に進む。城ヶ島大橋料金所へ。

三浦半島最南端 城ヶ島に行くためにはお金を払わないといけないらしい。遠くから料金を確認する。二輪自動車50円…用意して、徴収場へ。オバチャン「これ50ccでしょ?50ccは無料よ~」

 

……

 

大橋を渡る。まずは島の東側、城ヶ島公園に向かう。公園に来る前に駐車場で100円払う。駐車券を貰い、それは城ヶ島内の駐車場で何度でも使用可能とのこと。

やはり、木が一方に向いている。風が強いからだろうか。

城ヶ島公園の奥には安房崎灯台がある。その標識。ネコがおいでやす。

途中にある展望所からの眺め。奥に先ほど通ってきた城ヶ島大橋が見える。

階段を降りて、崎の先端に向かう。

果てしない景色。波打つ様は恐怖すら感じる。

 

駐車場に戻り、城ヶ島の西側 城ヶ島灯台に向かう。

フランス人ヴェルニーって横須賀で見たよな…(1日で横須賀の3分の2を楽しんできた

説明が風雨にさらされ、全く見えない。こういうのはもったいないと思う。

お腹が空いたので、城ヶ島京急ホテルに併設されている レストラン磯香瀬さんへ。

自慢の特撰まぐろ丼を注文。

口の中でのとろけ方が違った。これが三崎のまぐろか!!ってなった。

周りを少々うろついたがあまり無く。駐車場に戻り、城ヶ島を後にする。30分ほど移動して、三浦半島南東に位置する、剱埼灯台(つるぎさき)へ。なかなか道の悪い場所にあり、行きづらかった。

 

ここから三浦半島の東側を一路北に進んでいく。県道212号線途中にある、ビッドル広場。

ベンチが2つあるだけだった。ペリーの前にビッドル提督が来てたのか…と、一人歴史を感じる。

さらに1kmほど走った先は久里浜。そこにはペリー公園がある。

ペリー上陸記念碑ってどこかで見たことある気が…(原付で伊豆半島を一周してきた。(1日目中盤))※久里浜が先1853年。下田が後1854年。

ペリー公園からさらに1kmほど進んだところには、海軍機雷学校/海軍対潜学校跡の碑が。

合掌。私と同じような年齢、若しくはそれより若いかもしれない。この時代に生かさせて戴いている気持ちは忘れずに。

 

さらに1kmほど北に進む。

浦賀港引揚記念の碑。合掌。

 

ピューっと浦賀港をぐるりと反対側、浦賀城跡の麓にある叶神社。

裏の階段を登ると

勝海舟断食の碑。1860年の太平洋横断を行う前に行っていたらしい。

山頂付近は何がなんだか、よく分からなかった。

特に城の痕跡は残ってなかった。麓まで戻り、北東に進む。

駆逐艦 村雨 の碑。

合掌。

 

よこすか海岸通りを北に1時間弱走る。やってきたのが貝山緑地。この地は予科練発祥の地となっている。

合掌。

 

次に向かうのが最後の目的地。旧伊藤博文金沢別邸。17時過ぎの到着したので、中に入れず。

4月21日から5月6日にかけてぼたんまつりが行われています。

 

その足で再度北上、大井競馬場へ。

夜はまだまだ寒い。大井競馬を楽しんだ後は、弱い雨に打たれながら自宅に帰りました。

 

三浦半島原付旅はこれで終了。前半(三浦半島西側)は海岸線などの比較的地球、を感じながら進んだ。しかし後半(東側)は一転、歴史を学ぶ機会が多かった。近代日本が諸外国と取引を行うには海を通らなければならない。江戸・東京から近いこの三浦半島はそれに適していた。色んな時代を経て”今”があるのだなぁと感じる、そんな日帰り旅になった。

次はどこに原付でいこうかな。関東の半島、房総・伊豆・三浦全て制した。また気が向いたら。

おわり。

 

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