ワクワクが止まらない。
東京駅から京都駅に向かう新幹線で書いている。
こんな不良馬場の菊花賞、一生に一度あるか無いかだよな…ある意味歴史の証人になれる気がする。雨中の全馬バテバテになり、死力を尽くす淀3000mの菊花賞。バテた奴から消えていくサバイバル。それこそ平成生まれの俺が見たかった昭和の、伝統ある由緒正しき菊花賞本来の姿ではないのか。
— おわっっ (@rk_owaaa) October 21, 2017
後世に語り継がれるレースって存在すると思う。僕たちの世代で言ったら何だろ?オルフェーヴルのラストラン?クィーンスプマンテとテイエムプリキュアの行った行った?
そういう、誰かの心にグサッと記憶に残るようなレースってあると思う。
今日の2017年菊花賞が、『そういう日』になるってことを俺は確信している。
俺は競馬のレースの中で特に長距離戦が好きだ。馬本来の強さが現れたり、騎手と騎手との駆け引き、展開、血統を超えた死闘…色んな表情を見せてくれる長距離戦が大好きだ。
「血統的に2400は持たない」だとか「母父が○○○だから軽視」とかをよく目にするが、どうもそんな馬たちがコロッと勝ってしまう今の長距離戦線、長距離軽視志向に疑問を持っている。
だからこそ、2017年の菊花賞を観に行く。初めての菊花賞現地が24歳なのは遅すぎるが、昭和の時代はリアルタイムでは勿論知らない。競馬が社会的ブームになっていた時は必ず長距離戦が含まれていた。ライバルとライバルが真っ向勝負で戦い、マッチレースを繰り広げる。それが羨ましくて仕方がなかった。
菊花賞としてレースの尊厳が失われつつある今、スタミナ比べを行う不良馬場。バテた奴から脱落していくそんな死力を尽くしたレースが繰り広げられる気がするのだ。
競走馬の能力を分けると、「速さ、大きさ、柔らかさ、強さ」の4つで分けることがある。最近の菊花賞は速さだけでどうにかなってる節が感じられる。そこで不良馬場の出番だ。
–菊花賞は強い馬を決めるレース
そんな言葉は今となっては死語だろう。昔の、昭和の名馬が名を刻む菊花賞、具体的な名前が出てこないのはとても恥ずかしいが、そんなことはどうでも良い。
「あの超不良馬場で行われた菊花賞っていつだったっけー?」
「201…7年?めちゃくちゃな競馬だったよねwww」
「ワシはあのレース観に行ってたのじゃぞ。台風が近づいてきて…」
古き良き時代の菊花賞を夢見て……
2017菊花賞
◎スティッフェリオ
○ダンビュライト
▲マイネルヴンシュ
☆サトノクロニクル
△トリコロールブルー、ウインガナドル、キセキ、クリンチャー、ミッキースワロー
しっかし新幹線は多いなー。乗車率100%超えてるのではないか?
さっ、そろそろ名古屋だ。
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